美食の国フランスは、料理に関する格言・名言の宝庫。今回はフランス文化のエッセンス「料理」の奥深い世界をテーマにフランス語を学んでみましょう。
料理にまつわるフランスの名言
ブリヤ=サヴァランとは
ジャン・アンテルム・ブリヤ=サヴァランは、美食家として知られ学問としての美食について書かれた「美味礼讃」の著者として有名な18-19世紀のフランスの法律家。
本の中の名言・格言は現代でも非常に有名です。そんなフランス流の“美食の哲学”を早速見てみましょう。
食は全ての礎なり
La destinée des nations dépend de la manière dont elles se nourrissent.
国家の人民の運命はその食生活次第である
Dis-moi ce que tu manges, je te dirai ce que tu es.
あなたが食べているものを言ってごらん、あなたがどんな人物か当ててあげよう
- destinée …(f.)運命、天命
- nation …(f)国家、国民
- dépendre de … …~次第である
- la manière dont… …(f.)~する方法、流儀
- se nourrir …ものを食べる、食事をとる
manière
「manière」は「方法、流儀」。「de la manière de …. ~流の方法で」と、後に「de」が続く形でよく使われる語です。
ここでは「deを伴う語句の内容」を表す関係代名詞「dont」が使われていますね。
この「la manière dont … ~が~するやり方」という形もそのまま覚えておきましょう。
ce que
二つめの格言では「ce que… ~であるところのもの」という言い回しが二回出てきます。
「ce que tu manges」 は「あなたが食べるもの」、「ce que」の後に「主語+être」が続く言い回しは、「~がそうであるところのもの」、つまり「それがどんな人・物であるか」という意味になります。
一皿の料理にみる哲学
On devient cuisinier mais on naît rôtisseur.
人は料理人になることはできるが、ロティスール(肉を焼く専門の人)には生まれつくことしかできない
Un dessert sans fromage est une belle à qui il manque un œil.
チーズを欠いたデザートは、片目のない美女のようなもの
- devenir …~になる
- naître …生まれる、~に生まれつく
- dessert …(m.)デザート
- belle …(f.)美女
- il manque A à B …BにAが欠けている
ひとつめの文は直訳すると、「人は料理人になるが、人はロティスールとして生まれる」。
料理は学んで覚えることができるけれど、肉を完璧な焼き加減で焼くには生まれついた才能が必要であるということを言っています。
à qui
二つめの「à qui ...」は「前置詞+関係代名詞」の形で、「il manque un œil à cette belle その美女には片目がない」の「à …」以下の部分を表しています。
美食の喜び
La découverte d’un mets nouveau fait plus pour le bonheur du genre humain que la découverte d’une étoile.
新しい料理の発見は人類の幸せとって恒星の発見以上のものをもたらす
Le Créateur, en obligeant l’homme à manger pour vivre, l’y invite aussi par l’appétit, et le récompense par le plaisir.
人は神の意志により生きるために食べることを余儀なくさせたが、同時に食欲からそこへ誘われ、喜びで報われる
- découverte …(f.)発見
- met …(m.)料理
- bonheur …(m.)幸せ
- genre humain …(m.)人類
- étoile …(f.)星
- Créateur …(m.)創造主、神
- obliger A à B …~に~(すること)を強いる
- inviter A à B …~を~に誘う
- appétit …(m.)食欲
- récompenser …~を報いる
faire plus que
最後は「食べることの喜び」についての名言。「faire plus (pour…) que … 」は、「(~にとって)~以上に大きなものをもたらす」という意味。
そして二つ目は、人は生きるために食べなければならないという辛い運命を背負っているが、だからこそおいしい料理を味わう喜びを享受することもできる、それぞ神のご加護であるという名言でした。